伊勢原市 剣道學び処 正孝塾稽古五則


「正孝塾を塾と称した由来」

 

剣道の道場の名に塾と名の付く道場は

なかなか無いと思います。

ないから塾である訳ではありません。

剣友会であったり、何々館であったりするのが一般的ですね。

そこに正孝塾は『塾』と称しました。

現代においては塾といえば学習塾等を連想させますが、本来塾とは学校です。

しかも、学校を塾とした時代にあっては現代の学校ではなく、最良なる人間形成の場としての学校を意味します。

 

玉川学園は、創設者 小原國芳により玉川塾として開校しました。

Wikipediaにて私塾検索で次の様に記載があります。

「玉川塾 - 小原國芳によって国学・漢学・洋学を基礎に創立された最後の私塾」

私は、この玉川で育ち学びそして塾のあり方を実際に学びました。

 

また、江戸時代にあっては、藩校として年齢を厭う事なく、現代教育の年齢別社会のあり方ではなく、縦の繋がりによる教育構造を持って良しとしていました。

 

私が幼い頃から感銘を受けた「会津藩校日新館」もその一つです。

周知の通り「日新館」は、会津白虎隊で勇名を馳せました。

武と文を均等に学び、儒教的精神により幼きものから成人までをしっかりと教育していました。

 

現代に於いても、その流れを汲み日新館をその前身として「福島県立会津高等学校」が存在し「会津若松市立日新小学校」も「日新館」の名を残し今にその流れを伝えています。

 

過去の封建的社会構造を良しと言うのでは決してありません。「温故知新」古きもの必ずしも古きに非ずと考えます。

 

そのような古の塾の良きあり方を踏襲すべく「剣道塾」とし、「剣道學び処 正孝塾」と称しました。

 

剣道連盟も人づくり人間形成とは申しておりますが、末端に於いての習い事としての剣道やスポーツの学習塾化に真っ向反対し実践する為の正孝塾です。

 

 

皆さんが通う正孝塾は学校らしい学校でありたいと日々思いながら指導しています。